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東日本大震災 「ここが私たちの居場所」 岩手・大船渡、避難生活で孤立した女性 復興住宅で歓迎の太鼓に安心ジパング協同組合

category : ニュース 2016.2.28 
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 子ども2人を抱えた孤独で長い避難生活は終わりを告げた。岩手県大船渡市で東日本大震災に遭った下斗米霞(しもとまいかすみ)さん(41)は昨夏、同市の災害公営住宅(復興住宅)に入居したときのことが忘れられない。

 のどかな山あいに建つ真っ白な3階建ての復興住宅を、にぎやかな太鼓の音が包んだ。入居した被災者約40人を歓迎しようと、地元長谷堂(はせどう)地区の住民らが企画した古来の嫁入り行列だった。母子で食べていくのが精いっぱいで、子どもに楽しい思いをさせられずにきた。小学4年の次男(10)が大喜びする姿に、目頭が熱くなった。「私たちの居場所があった。ここに根を下ろそう」

 下斗米さんは中国・大連市出身で、17年前、結婚を機に来日した。その後、夫と別れようと、2009年に大船渡に移住。中国人技能実習生の派遣会社で通訳として勤務した。「子どもといる時間を増やそう」。転職を考え、退職を伝えた数日後の11年3月11日、震災が起きた。「転職どころじゃない」。翌日、仕事を継続できないかと出社したが、「もう来なくていいよ」と言われた。

 自宅のアパートは津波に流され、避難所に身を寄せたが、周囲の視線が冷たく感じられた。「技能実習生たちと中国語で話すからなのかな……。配給物資を投げつけられたこともあった」。転職先も見つからず、食べた物を吐くようになった。被災者の体調を見回る避難所のスタッフは、それでも声を掛けてくれなかったという。

 11年7月に移った仮設住宅でも、「孤立」が続いた。周囲に溶け込もうと集会所に顔を出したが、避難所での体験が頭をよぎった。「受け入れてもらえるだろうか」。話しかけることができなかった。子どもの物音のためか、隣室の住人にたびたび壁をたたかれ、息を潜めて暮らした。

 定職につけず、生活は楽ではなかったが、息子たちに自由な生活をさせてあげたいと復興住宅への入居を決めた。高校1年の長男(16)は進学を機に、寮生活を始め、今は次男と2人暮らしだ。

 長谷堂地区の自治会は、歓迎イベント以外にも、復興住宅の住民の孤立を防ぐため、毎朝のラジオ体操や行事の開催に力を入れている。下斗米さんは少しずつ参加するうちに、復興住宅の会計係を任されるようになった。今年3月末までが任期だが、住民から「もう少しやって」と言ってもらえた。「自分を必要としてくれている。やっと地域に溶け込めた」と感じる。

 復興住宅では孤立する人も少なくない。部屋に閉じこもる独居者や、仕事と家事に追われる共働き夫婦。かつての自分を思い出し、「地域とつながれる新たな行事はないだろうか」と思案する。そんな下斗米さんの姿に地元公民館の田村敏夫館長(69)は「(復興住宅の)自治会長にだってなれる」と期待する。「荷が重すぎる」と謙遜する下斗米さんだが、「孤立している被災者が一歩を踏み出せるよう、手伝いたい」。その表情は生き生きとしていた。【寺岡俊】

転居住民「近所付き合い」に不安

 宮城県石巻市の仮設住宅で震災直後から避難者の生活と復興に関する調査を続けている石巻専修大学の山崎泰央教授(48)によると、仮設住宅を出る際、避難者が最も心配するのが、新たな居住地での人間関係だという。

 調査は同市の開成、南境両仮設団地で2011年から実施し、約250〜400戸が回答。15年夏の調査では、仮設住宅から移転後の生活の不安(複数回答)について、最多の45%が「近所付き合い」を挙げた。「周囲からの孤立」との回答も7.4%あった。

 また、仮設住宅内の友人や知人の数を尋ねた質問では、29%が「いない」と回答。入居者の移住で孤立化が進んだとみられ、過去最高だった。

 山崎教授は「建設が進む災害公営住宅に移ってからも、孤立化の問題はつきまとう。閉じこもっている人に対しては、ボランティア活動では限界がある。重病になるなど事態が深刻化しないよう、行政による戸別訪問の強化などが求められる」と話している。


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